卒業生の手記

 

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通信教育で開けた私の人生

奥 田   正 行

一、はじめに

 全国の定時制、通信制で学ぶ仲間の皆さん、今日は。私はNHK学園高校(通信制)で高等学校を卒業した者です。卒業期は第一期生です。この度NHK学園高校の協力校兵庫県立兵庫工業高校の教諭をされていた大平喜巳先生並びに兵庫県高等学校定時制通信制教育振興会会長大内俊一先生のお勧めを受けて投稿にチャレンジしました。
 中学校を出て、民間に七年間勤め、その後、郵便局に転職して四十八歳の時に、兵庫県相生市にある相生郵便局長をさせていただきました。この間、職場の上司、同僚、NHK学園高校の先生、兵庫工業高校の先生に支えられて今日まで来た次第で、皆さん方に感動を与えたり、元気を与えるような話は出来ませんが、一人の通信教育卒業生の生きてきた歩みを読んでいただき、そういう世界もあるのだと参考にしていただければと願ってペンを執らせていただきました。
 

二、NHK学園高校との出合い

 私は昭和三十五年、兵庫県姫路市にある白鷺中学校を卒業し、I石油会社姫路出張所に就職しました。
 当時、私は高校に進学する予定でしたが、運悪く父の勤める鋳物工場が倒産し、進学出来なくなりました。父は仕事を大切にし、良い鋳物製品を作るためには労を惜しまない人で私には自慢の父でした。ところが、人間とは弱いものなのですね。この尊敬する父が倒産の一件ですっかり変わってしまい、競馬、パチンコにうつつを抜かし、家庭を顧みない人になってしまいました。私を筆頭に子供四人を抱えていた母は、朝早くから働き、夜は料理旅館の仲居として、親子六人の生活を一生懸命支えてくれる毎日でした。こんな状態でしたので、私も働いて家計を助けなければならず進学どころではありませんでした。
 I石油会社では、毎日スタンドの掃除から始まり、ガソリンの給油、オイルの交換、洗車、グリースアップ等の車の整備が主な仕事で、車のことをいろいろ勉強でき結構楽しい日々を送っていました。
 当時高校卒で本社採用のM氏が中心となって新規採用者の教育に熱心に取り組んでいただき、「頭は若いうちに鍛えろ」ということで、石油の知識はもとより、仕事に役立つ色んな資格を取るよう勧められ、珠算三級、危険物取扱主任者乙種第四類、ボイラー技師二級、簿記二級等の資格にチャレンジしました。
 しかし、色んな資格を取っていく過程で、高校卒業程度の教養と資格の必要性を感じ、高校進学の夢がまた頭をもたげてきてどうにもならなくなりました。
 悩みに悩んだ末、私はK所長に定時制高校へ進学出来るようお願いしたのですが、五時以降も給油作業のある職場では、これは許されないことでした。
 進学はやはり無理かと諦めていたところ、数日後、K所長からお呼びがかかりました。K所長はにこにこしながら、「奥田君、通信教育で勉強しないか。これならレポート中心の勉強で、後は年二回スクーリングに四年間参加すれば高校卒業の資格が取れる。一回一週間程度のスクーリングなら何とかみんなの理解を得て参加させることが出来る。やってみないか。」という大変有り難いお話でした。
 こうして私は、昭和三十八年四月、NHK学園高校第一期生として、高等学校に入学することができたのです。このときの喜び、幸せは言葉に表すことができません。
 「働きながら学びたい」という気持ちを共有する皆さん方には理解していただけると思います。
 働きながら高校の勉強が出来ることになりましたが、夜勤の時、トラックへの給油作業中に居眠りして軽油を溢れさせ運転手の方に叱られ、仕事を優先しなければと反省したことも今は懐かしい思い出です。
 

三、NHK学園での生活

 最初の二年間は、NHK学園本校の実施するスクーリングに参加。先生方の教育への情熱がひしひしと伝わる授業風景でした。休み時間も質問が続き、学ぶことへの熱い思いに心打たれたことを覚えています。その後、「協力校」の制度があることを知り、神戸市にある兵庫県立兵庫工業高校にお世話になることが出来ました。毎週日曜日に協力校へ出掛け、協力校の先生から講義をいただくシステムでした。
 ここで、前述の大平喜巳先生が英語、書道を教えるほか、主任教官の役割を果たしておられたのです。協力校の先生方は、自分の担当の教科を教えるだけでなく、私生活についても親身になって相談に乗っておられ、学校というよりは家庭的な雰囲気が強く、生徒にとっては憩いの場のような感じでした。
 私達は、当然のようにスクーリングで授業を受けていましたが、先生方は日曜日を犠牲にし、奥さんや子供さんに不自由な思いをさせながら私達のお世話をしていただいていたことに、今更ながら頭の下がる思いで一杯です。
 この兵庫工業高校でお世話になったNHK学園の一期生は、今も二年に一回程度、大平先生をはじめとするお世話になった先生方をお招きし同窓会を実施しています。
 

四、郵便局への転職

 NHK学園高校四年生の頃、自分の将来について悩むようになりました。親身になって面倒を見ていただいたI石油会社のK所長やM社員には悪かったのですが、自分の性格を考え、私は公務員の道を歩むことを決心し、国家公務員初級職を受験して姫路郵便局郵便課に採用されました。
 採用後、広島郵政研修所に初等部訓練生として入所を命じられました。この初等部というのは、新規採用職員に対し郵政職員としての基本的知識を習得させる訓練で、期間は当時約一ヶ月、郵便、貯金、保険の三事業の基本的な知識、服務規律などを勉強するものでした。ここで、郵政省には「中等部訓練」といって、郵便局の中堅職員を養成する一年間の訓練があることを知り、私はこれを次の目標にすることとしました。
 訓練を終え、姫路郵便局に帰ってからの二年間、勤務時間中は仕事の習熟、時間外は中等部訓練の受験に取り組むこととしました。過去の問題集からおおよその傾向をつかみ、一般教養については、通信教育でいただいた教科書を中心にもう一度勉強し、事業知識の勉強については、上司の課長代理や総務主任にわからない部分を教えて貰い、昭和四十四年京都郵政研修所に中等部訓練生(現在は「中堅科訓練」で期間四ヶ月)として入所することができました。
 ここで一年間、郵便局での中堅職員としての素養を身に付けるべく、法律、経済、数学、英語等の一般教養のほか、郵政三事業の知識等を勉強する機会を与えられました。
 この研修所では、中等部生と教官の心の交流を深めるため、生徒は毎日日誌をつけ、教官に提出することになっていました。
 あるとき、私は日誌に、「中学校を出て、通信教育で高校を卒業した私が、昼間、京都大学等の教授等や部内の経験豊かな教官から講義を受けられ、夢のようで、これ以上望むことはない。」といったようなことを書いたところ、担任のT教官から「小さな夢じゃな。もっと大きな夢を持て。郵政省には、夜間高校、夜間大学を出て、管理部門で立派な仕事をされている方がたくさんいる。郵政大学校本科を受験して管理部門で郵便局を動かす仕事を目指してはどうか。」とハッパをかけられました。
 中等部訓練生は当時近畿二府四県から八五名程度が選ばれていたが、本科は全国から三五名程度しか合格しない難関。正直、通信制出身で果たしてやれるだろうかという不安はありましたが、中等部訓練だって全日制出身者に負けていないという思いもありチャレンジすることとしました。
 

五、郵政大学校本科へのチャレンジ

 一年間の中等部訓練を終了して兵庫郵便局貯金課に配属になり、今度は貯金事業を勉強することとなりました。また、郵政大学校本科を受験することとしたので、受験のため、一年間のスケジュールを立て、月ごとに勉強する科目を決め、少なくとも一日最低二時間は机に向かうこととしました。一度目の受験は数学で失敗。二度目は大学受験問題集で数学を補強し憧れの本科に合格することができました。一度目の受験で生まれて初めて挫折感を覚え、この時は相当落ち込んでいたと思います。この年結婚し、受験は諦めようと考えたのですが、ここで負けたら通信教育や中等部で頑張ってきたことが生かされないと思い直し、妻の応援もあって再度の挑戦になったのです。
 本科での二年間の生活は最初の一年半は、東京大学等の教授から法律学、政治学、経済学等の講義を受けるほか、郵政本省課長補佐クラスの教官から郵政事業についての講義を受け、残りの半年は「事業研究」といって、事業の抱える問題点をグループで研究し、研究成果を報告書として提出するというものでした。
 

六、終わりに

 郵政大学校本科(現在は「研究科」、訓練期間は二年)を卒業して近畿郵政局に配属となり、その後、郵政本省で企画部門の勉強をする機会を与えていただいたりしましたが、郵便局に転職して早三十一年の歳月が流れました。紙面の都合があり、私の人生の歩みについての紹介はここで終わらせていただきます。
 振り返ってみれば、民間の上司の計らいでNHK学園高校と糸が繋がり、この糸のお蔭で郵便局へ転職でき、郵便局に転職できたお蔭で郵政大学校で学ぶ機会を与えられ、郵便局長という地域のお客様に対しても、職員に対しても重い責任を負うポストを経験させていただいています。
 人間は「一人では生きられない。」とよく聞きます。まさにそのとおりだと思います。多くの人との出会いの中から色んなことを教えられ、諭され、人の情けを知って成長させていただいて今日を迎えています。
 五三年の人生を振り返って、今、私が大切に思って努力していることは次の三点です。
  

 

 

 

一、

素直であること。
素直であれば人の話がよく見える。

二、

相手に誠実であること。
自ら相手に誠実を示さないで相手から信頼を得ることは出来ない。

三、

何事もプラス志向で考えること。
人の一生では多かれ少なかれ谷間に遭遇する。谷間に遭遇したとき個人の真価が問われる。この時こそ自分にとって成長の機会ととらえる。

 

 最後になりましたが、定時制、通信制、の仲間の皆さんは何らかの事情で全日制の高校に行けず、働きながら学ぶ道を選ばれたと思います。一口に四年間といっても勉学と仕事の両立で苦しいときもあるでしょう。こんな時は「初心」を思い起こして頑張っ欲しい。卒業の栄冠を勝ち取ったとき、新たな自信が湧いてくると思います。後輩の皆さん方のご健闘、ご活躍を祈ります。

 

 

奥田正行

郵便局長、昭和二十年姫路市生まれ。
昭和三十五年出光興産姫路出張所勤務。
昭和四十一年十一月姫路郵便局郵便課勤務。
昭和五十八年沖縄郵政管理事務所総務部経理課課長補佐。
平成元年近畿郵政局人事部人事課課長補佐。
平成五年兵庫県相生郵便局長。
平成七年近畿郵政局人事部調査官。
平成九年近畿郵政局郵務部営業企画課長。
平成十年六月から大阪府枚岡郵便局長。

 

出典資料:

「燦々の太陽を求めて」-働きながら学ぶ青少年を支援する手記集-
平成10年度郵政省お年玉付年賀葉書等寄附金配分事業
(財)全国高等学校定時制通信制教育振興会 発行

 

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